そもそもDIS文化が日本に合ってるのかどうか。
日本オリジナルを目指したいならそこから見直していくべきじゃない??
日本のDISが良い方向に進んだ事は一度もないっていう童子の意見には大賛成で、要するにアーティストが(恐らくは)必死に思いをぶつけた所で、リスナーにとってのDIS合戦なんて、コーラ片手に見る安いゴシップエンターテインメントでしかない。
SEEDAとTERIYAKIのビーフだって、リスナー間ではいつの間にか何の問題もなくSEEDAとVERBALの話に摩り替わってるじゃん。
そして双方のファンが互いに叩き合い、しまいにはフリスタが出来なかったからとかでVERBALの負けだ、なんて意見が出てくる始末。
いやそこじゃないだろと。
結局誰が誰をどんな理由でDISったのか、その本質的背景を考察しようとする姿勢がリスナーにない。
要するにSEEDAがDISる相手がTERIYAKIだろうがVERBAL単体になろうが、彼らにとってはどうでもいいんですよ。
ラッパーとラッパーがいがみ合う、そのプロレス的構図を勝ち負けの物差しで測りたいだけ。
そこの流れにラッパーもなんとなく乗っかっちゃうし。
だからこそ日本で本当の意味でのエンターテインメントとしてのDISなんて成立してこなかったし、成立しようがない。
そもそもDIS文化がなきゃいけない理由って、これまでの日本のHIPHOP上でなんか示されましたっけ??
不必要。