まず本文に入る前に、レビュー本文に書くと長くなりすぎるのでこっちにちょっと先に書かせてもらいます。
−オレにとって本当にカッコいいHIPHOPとしてのライミングとは??
って事で。レビューだけ読もうって方は飛ばして頂いて構いません。
唐突ですが、僕は彼らBEATMASTERこそが日本で韻の踏み方が最も上手かったグループだと思っている。毎回五文字以上踏むわけでも、同じ文章中に3回も4回も踏むわけでもない。踏むのは大体文章中に2回ほどで、踏む文字数も特別多く無い。しかしむしろこれこそHIPHOPとして完成されきった究極のライミングだ、と僕は思っている。最近の風潮では文字数が多かったりだとか、文章中に意味の通る文で何回も踏んだりだとか、ユーモアのある突拍子もない韻だとかがやたら持て囃され「踏み方が上手い」と言われる。
その最たる例が韻踏合組合とICEBAHNだ。誤解しないでほしいのは、僕もこれらのグループは大好きだし、音源も好んで聴いている。しかしその上で言うと、そのライミングは果たしてラップに付随したものなのか??むしろ韻にラップが踏まれているのでは??という疑問がある。まず韻がありきでそこにフロウやラップの内容が付随する事は僕は本来の韻の役割を果たしていないと思っている。勿論本来の型に留まり続けろ、なんて言うつもりはないが、それと韻が前面に出てきてラップそのものがそれに付いていくなんて事はHIPHOPにおいてまったく別次元の問題だろう。
要はそれはそれでカッコ良く僕も好きであるが、「そのライミングはHIPHOPとしては??」という疑問が個人的にはあったりする。更にもっとあえてキツイ言葉を言わせて貰えばライミングを押し出したラップを聴いて満足する人々の感想っていうのは「そんな韻の踏み方が出来るなんてすげぇ!!」ってのがあるわけで、それだけじゃサーカスを見て「そんな事が出来るなんてすげぇ!!」って言ってるのと同じ事だ。(勿論それだけに留まらないフロウやスキルの高さも相まって彼らが名曲を生み出している事も知っているし、だからこそ僕も彼らが好きです。ただここではあえて「韻踏み」だけに焦点を当てた話ですので)
それはあくまで韻の上手さを前面に押し出したラップであって、ラップをカッコよく魅せるために付随した韻ではないと思う。そして韻にラップを嵌め込むタイプの彼らに対して、あくまでラップに韻を組み込むタイプのライマー達がいる。それが走馬党であったり、BEATMASTERだったりするわけだ。前者と後者はよく同じ括りで出されるが、似て非なるものだろう。
で、あくまでも韻がラップに付随するラップをする中で、彼らBEATMASTERのライミングの上手さといったらそれはもうハンパじゃない。文末で数文字踏むだけで、こんなにも言語センスがよく、上手いと思わせられるラッパーがいるだろうか??(特にKO-1)たった3文字程で上手いと思わされ、そこに文学的なリリックが完成する。そして次の3文字に、一連のリリックにワクワクさせられる。彼らこそ天才だと僕が思うのはそういう事で、だからこそ日本で最高のライマー達だと思っている。
勿論他にも色々ライミングについては見方があるだろうが、僕の観点で言えばHIPHOPのラップとしての真の韻踏み屋とは彼らのような男達に他ならないわけだ。
って事でまだまだ詳しく語りきれてはいませんが、
そういう思考段階を踏んだ上でのレビュー↓
1.INTRO
2.さらに夜へ急ぐ
3.続.哲学と文学の音楽feat.LOVE PUNCH
4.INTERLUDE PT.1
5.人生ゲーム〜花びらPT,2〜
6.TIME OPERATORfeat.BOMBER
7.WHAT’S YOUR NAME?〜成田劇場〜
8.BEATMASTER
9.INTERLUDE PT.2
10.モノクロームの英雄
11.最強の強敵
12.FULL MOON’2000
13.OUTRO
★★★★★★★★☆☆
という事でレペゼン浜松、BEATMASTERの1stフルアルバム。先述した文学的でセンスがキラリと光るリリックを崩す事無く叙情的な曲からアッパーチューンまで卒なくこなす技量は流石。彼らの曲というのはいわゆる「当たり」と「外れ」の差異が非常に少なく、どの作品でも一枚通して揺るぐ事のない安定感を感じることができる。どんなシンプルなトラックでも、派手なトラックでも舌先ひとつでどうにでも味を出せるラップを持っているため聴く側としても出された作品に絶対的な信頼を寄せる事が出来る。一見さんにも日本語ラップを聴きこんだファンにも受け入れられた彼らの評価の高さにはライミング以外にもこの「卒のなさ、安定した仕事ぶり」が挙げられると思う。「人生ゲーム〜花びらPT,2〜」の後に「TIME OPERATOR」のアゲアゲビートが来たって戸惑う事無くすぐにリスナーの方からその世界に順応できるのはそうしたところからだろう。だからといってマンネリ感が漂うわけでもなく、どの曲をいつ聴いても飽きずに聴けるのは本当に凄い。この作品も例外ではなく、特に「さらに夜へ急ぐ」は短めの曲ながらかなり長く聴ける。綺麗すぎるリリックセンスが遺憾なく発揮されていて渋すぎる。こういう噛めば噛むほど味が出てくる曲を作る一方で、SAME TITLEの「BEATMASTER」等のパワー押しの楽曲で一発でカッコ良さを見せ付けてくれる。アルバム中のこの連鎖がたまらなく快感だ。締めを飾る「FULL MOON’2000」も前作の名曲「FULL MOON'99」とは打って変わっての無機質なギターリフが鳴り響くが前作とはまた別次元の魅力を帯びた名曲に仕上がっている。これもまた彼らが確実に進化していた証と言えるだろう。KO-1のラストヴァースに耳が持ってかれる事必至。しかしこれだけ熱く、高く評価してももう過去形でしか彼らを語れないのは本当に残念なところだ。正しく日本語ラップの体現者であった彼らを超えるグループはそうそう出てくるもんじゃないだろう。だからこそ短すぎた彼らの歴史の中で、今なお光り輝くこのアルバムを、いや、どの作品でもいいから手にとって欲しい。きっと他のラッパーにはない「純粋な日本語の力」を感じれるはずだ。因みにOUTROも秀逸。OUTROで感動してリピートしたのはこれが初めて。